親孝行出来ずに後悔したこと 3

亡くなった父に親孝行したかったです

小学校に入学してすぐ、病気で父が他界をしました。一緒に旅行をしたり買い物をしたり、母には買ってもらえない物をおねだりしたり、特別な事ではなく同じ時と空間を過ごしたかったです。

結婚式にも出て欲しかったです。親戚のおばさんから、「お父さんにも見せてあげたかったね」と言われ、涙がこぼれました。私の花嫁衣裳を見せたかったです。

子どもが生まれた時は、心の底から父に孫を見せてあげたいと思いました。母から聞いたのですが、私をおんぶしている時に「この子が結婚して孫が生まれたら、こうやっておんぶしてあげたい」といつも言っていたそうです。

きっと生きていたら、孫の為におもちゃを買ったり服を買ってくれたりしたと思います。親にとっては、それも楽しみだと思うので、そういう気持ちを味あわせてあげたかったです。 よく「親孝行したい時に親はいない」と言いますが、本当にその通りです。

若い時は親に反発したり顔も合わせない、という事も多々あるでしょうが、親が亡くなった時ものすごく後悔します。言わなくても感謝の気持ちは伝わっているだろう、と思うかもしれませんが、言葉に出して言われると嬉しいものですよ。

生きているうちしか伝えられないので、何か特別なことではなくても、育ててくれた感謝とか、ご飯を作ってくれた感謝とかをぜひ伝えてあげてください。

間違った結婚で親不孝をしてしまいました。

勢いで結婚したものの、相手がマザコン&姑が子離れできてない家庭だったので、何においても元夫の家中心で、私の実家をないがしろにされてしまったため、親には寂しい思いをさせてしまいました。

姑の嫁いびりもひどかったため、若い私は精神的に病んでしまい、行動を起こせない状態になってしまいました。実家も帰省するためには半日ほどかかる距離だったために、親に孫を合わせることもほんの2,3回ほどしか出来ませんでした。

娘の産んだ子供にさぞ会いたかったと思いますが、私自身が姑と戦う気力を喪失してしまっていたので、ことごとく節目節目での行動ができずに、ずるずると孫との距離を開けてしまいました。

嫁いでから孫にも私にさえもあまり会えないまま親は亡くなってしまいました。さらには私の親が亡くなったときも旦那は葬儀にさえ来ませんでした。最終的に子供を旦那側に渡し、離婚をしました。

離婚をしてから、徐々に私の精神も回復しましたが、もう何もかも手遅れで、親孝行ができませんでした。 孫を見せてあげたかった。孫を抱かせてあげたかった。もっと、もっと孫と触れ合う時間を設けてあげたかった。

ずっと貧しくて、子供のためだけに頑張ってきた親だったので、楽しい思いをさせてあげたかったと思います。亡くなるまでに数年寝たきり状態だったのですが、お見舞いにさえ行けない状態だったので、本当に可哀そうなことをしてしまいました。

もっと帰省できる状態にして、頻繁に後悔のないように親との意時間を設けたかったです。 生きている限りは、何かしらできることがあるので、絶対に親と触れ合う時間を作って下さい。何も出来ないならできないなりに、顔を見せたり声を聞かせたりできるはずです。

亡くなってしまったら何も出来ません。多少無理してでも親に感謝の気持ちを表すべきです。

両親に親孝行できなかった子供時代

両親に親孝行が出来なかったのは、自分がまだ若く、両親への感謝の気持ちが足りなかったからです。私が子供の時、何一つ不自由のない生活をしていた為、親の苦労を理解することが出来なかったのも理由の一つでした。

私は、子供の頃はろくに勉強もせず悪い友人とつるんで悪さばかりしていました。その為、私はいつも学校では担任や教務主任に怒られ、家では父親に殴られ、母親に泣かれました。その為、私は子供として両親を喜ばせる事ができませんでした。

今となっては、母親にはもっと優しさをもって接すればよかったと思っていますし、父親にはもっと一緒に居る時間を沢山作ればよかったと感じています。そして、母の日や父の日には、感謝の気持ちを込めて何かプレゼントを贈ればよかったと後悔しています。

両親が健在だとどうしても甘えてしまい、親に感謝するどころかむしろ両親の存在を鬱陶しいものととらえる人もいるかもしれませんが、いざ親を亡くした時に親の有難みと偉大さを実感するのです。

ですから、もし、自身が子供でしたら後悔しないためにも今すぐにでも親孝行をするべきです。勿論、私のように若いころに親孝行をしてこなかった人でも遅くはなく、自分自身が親孝行をしようと思えばいつでもできると思います。

親孝行は大きなことじゃない。

結婚前は親に甘えていて、何でもしてもらうのが当たり前だと思っていました。当たり前だと思っているから、感謝も足りなかったと思います。わずかなお金を家に入れていることで、偉そうにしていました。

仕事や、友達や彼氏と遊ぶことも忙しく、それ以外の時間も全て自分だけに当たり前に使っていたような気がします。 大きなことじゃなく、本当に小さな手伝いをしたいです。今、家庭を持ち、家事をこなしているとそう感じます。

熱がありながら洗い物をしていた母に、「早く寝た方がいいよ」と口だけで言うんじゃなくて、代わりに洗い物をしてあげれば良かったんです。具合が悪い時だけじゃなく、日常的に、当たり前に家事をすれば良かったと思います。

洗い物も一人ですると時間もかかるし、やりたくないけれど、誰かと一緒だと早いし気分が違います。

親孝行はつい大きなこと、自慢の娘になることと、ビッグサプライズをして喜ぶ顔を見たいと思っていましたが、毎日の何気ない優しさや気遣いや、感謝の気持ちを伝えれば良かったんだと思います。

親孝行したいときには親はなし、とは言いますが、逆にどんなに親孝行をしても、もっと出来たんじゃないか?もっとこうしてあげれば良かったと思うそうです。直接的に親孝行が難しい人も、話を聞いてあげるくらいは出来るのではないでしょうか。

なぜ自分は親孝行をしないのか。自分の気持ちを知ることから始めよう

親の子育て方法に意義があったからです。私が子どもの頃、母は専業主婦であるにも関わらず、お菓子を食卓の上に載せるような人でした。

また、会話の内容がテレビや雑誌の話題などばかりで、私が学校でどんなことがあったのか、とか、私は何に興味があるのか、と言ったような、私のことを一切聞きませんでした。

そんな中夢中になることがあると「バカの一つ覚え」などと言われ、けなされました。父もそれを黙認していました。

ですので、両親に恩を感じる気持ちが薄く、親孝行ができませんでした。家でコミュニケーションができなかった分、社会の中で学びました。そこから、なぜ親が子どもと関わろうとしなかったのかがわかりました。当時は親の気持ちが全くわかっておらず、親だけが悪者のように思っていました。

ですので、今ならこちらから話しかけて、親の気持ちを語れるような空気を作ってあげたかったと思います。

親が子どもとどう接していいかわからなかったのも、良好なコミュニケーションの障害となる要素だったので、子どもである自分から、その壁を取り払うよう、自ら気さくな会話がしたかったです。 親孝行していない人の中には、したくない気持ちや、複雑な事情など様々な理由がある人もいるでしょう。

そんな人は、「親孝行しなければならない」「していない自分は悪い子どもだ」と、無意識に自分を責めるものです。そういう人は、なぜ自分が親孝行していないのか掘り下げ、自分の気持ちを知りましょう。

そうして自分で自分の傷などを知ってあげると、親に対して頑なだった気持ちも緩んでくるかもしれません。そうしたら、自然と親孝行できるのではないでしょうか。

ただし、してあげたかった、と気づくのは、してあげられない状況になってからであることが多いことをお忘れなく。

毒親の最期を看取る勇気がありませんでした

うちの両親はいわゆる「毒親」というもので、食事や衣服を与えるなど、最低限の育て方をしてくれたこと以外は感謝できません。

わずか4歳で家出をしようとした経験もあるほど、何事にも厳しくて恐ろしい存在でした。毒親から逃れるために遠方に就職して、結婚してからもずっと連絡をとらずにいました。

父が破産して実家を売りに出し、東北のほうへ母と引っ越したことは風の便りで聞きました。普通なら連絡して助けようとするでしょうが、私は心のどこかで自業自得だと思ったのです。

今さら親孝行のやり方も分からないし、逆にストレスが溜まりそうだったので、そのまま何もせずに過ごしていました。父が病気で治療をしていて、亡くなったと聞いたのは2、3年前のことです。

葬儀のはがきが自宅に届き、喪主である兄からも連絡がありましたが、参列することはありませんでした。なぜここまで頑なに両親を避けていたのか、自分でもよく分かりませんが、たぶん今の生活を壊されたくなかったからです。

私の気持ちを理解してくれない兄と揉めて喧嘩別れしてから、その後のことは全く分からない状況です。何もかも過ぎ去った今、せめてお葬式くらいは参列するべきだったかなと思います。

それから、年に一度くらいお墓参りをしてあげるくらいのことは、子供としてやるべきだったと思っています。

私のように生活を脅かしたり、存在意義を壊す毒親をもった人は、親孝行をすることが怖いのではないでしょうか。正直いって、なぜ孝行するのか意味が分からないという人も多いでしょう。

でも、この世から去る瞬間とか、お墓に入ってからは、毒親といえども大きなダメージは与えてこないと思います。死という究極の最後の時間を共に過ごし、できる限り感謝の気持ちを伝えることが、親孝行になるのではないでしょうか。

ただ、無理をして会って喧嘩をするくらいなら、いっそのこと会わない選択をするほうが、親孝行なのかもしれません。

私が親孝行できなかったのは、自分が自立しなかったことに有ります。それに気が付いたのは私が倒れた時です。私は小脳梗塞で倒れ、病院で暫く入院しました。

その時、私はずっと病室の中で親について考えていたのです。特に、私が今までしてきた親孝行のことです。私は今まで親孝行と言えばプレゼントか旅行でした。

しかし、どれも親は嬉しく思ってはくれなかったのです。私は、何でだろうと考えながら病室で横になっていました。そんな時に運ばれて来たのが食事です。私は、この食事を見て「あ!」と思いました。

それは、私が今までプレゼントした物は形だけだと言う事です。親孝行には、形ではなく愛情が必要だとその時感じたのです。今まで気が付かなかったのは、私の浅はかな親孝行と言う考えでした。

親孝行の手段は身近で出来ることだと気が付いたのです。しかし、私は親に対して親孝行の手段をなかなか使えませんでした。それは、私に毎日食事を作ってくれるので甘えてしまった自分がいます。また、自立しようと決めても出来なかったことにあります。

私は、親とは長く一緒に住んでいる生活が続きました。そうして、親に対して負担を掛けていることに気が付かないでいたのです。退院後の私は親と住んで仕事をして疲れて帰る日々でした。

そのサイクルがいつの間にか、日常になってしまったのです。その為、私は親の負担には全く気が付かないで生活を送っていました。毎日、親が作る料理を食べて生活する日々が年々歳を重ねる親には疲れたのでしょう。

その生活も長くは続きませんでした。日に日に元気が無くなり始めました。そうして今度は親が倒れました。この時には思いませんでしたが、時が過ぎるとあの時あんなに甘えないで自立していればよかったと感じます。

私がもっと自立していれば良かったと思う時があります。そうして、私が親に手料理をご馳走してあげれば良かったと何回も思ってしまいます。ずっと苦労をかけて生活を一緒にしていたのに気が付かないなんて、私は親不孝だと感じる時があります。

ですが、どれだけ感じても時は戻せないでしょう。自覚した時に自立をすることが大切です。

親孝行には、愛情がたっぷりの手料理が良いと感じています。きっと親も喜んでくれるでしょう。また、旅行やプレゼントも良いと思います。その時に、チョットした感謝の気持ちを手紙にすると良いと思います。そうして大切なことは、自分が喜び合える環境で喜んでもらうと良いです。

父親への親孝行

実父がずっと公務員で働き続けていて、定年後は嘱託で公園管理の短時間の仕事に就きました。退職したら両親でゆっくり旅行に行ったり、温泉に行ったりして楽しんでほしいと思っていました。

しかし、嘱託で働き始めてから計算が出来なくなったり、運転中に帰路が分からなくなることが出てきました。おかしいと思い、物忘れ外来を診察したところ、若年性認知症を発症していました。

60代と若かったため進行も早く、言葉が出なくなりすぐに会話ができなくなりました。こちらの言葉にも反応しなくなり、私たち家族のことも分からなくなり、ほとんど寝たきり状態で今は要介護度が高くなって自宅介護ができないため、特別養護施設でお世話になっています。

認知症を発症した当時は私も出産後で仕事と育児に忙しく、親孝行ができる状態ではありませんでした。無理にでも時間を作って父の為に何かしてあげればよかったです。

退職後は両親二人でゆっくりと楽しんでもらいたかったため、旅行代を兄弟で出し合おうと思っていました。今まで育ててくれた感謝の気持ちを表したかったからです。また孫と遊んだり、孫からお爺ちゃんと呼んでもらって老後の楽しみがあったはずでした。

平均寿命は80歳を越えましたが、いつ親が病気になるかは分かりません。また自分が病気やケガに合うかも分かりません。親や自分が元気なうちに感謝の気持ちを伝えたり、贈り物をしてあげてほしいと思います。

亡くなった父への後悔

私は病気がちで、なかなか定職にも就けずにいました。父が望んでいたのは私が結婚して子供を産む事です。私の体調が良くなってきて無事、正社員として就職できたとほぼ同時に父のガンが見つかりました。

そのまま数年間の闘病生活をしたものの、末期がんだったので手の施しようもなくて苦しんでいました。私はまた体調を崩してしまい、入院した事で父のお見舞いにも行くことができませんでした。

また、無職になった状態の私を父はどう思っていたのか。結婚する姿を見たいと最後まで望んでいた父は私が32才の時に亡くなってしまいました。結婚や子供は今でも難しいけれど、父が亡くなった事でバラバラだった家族が一致団結したこと。

姉弟そろって婚活をはじめた事。今は元気に暮らしていること。そんな他愛のない話をたくさんしたいです。父は、家族との会話が苦手な人だったので一家団欒とは無縁の我が家でした。

そんな父に一家団欒の親孝行をしてあげたいです。 親孝行って、仕送りだとか、高価なプレゼントを連想しますよね。

私もそう思っていました。プレゼントをしたり、旅行に連れて行ったりもしました。でも、普段の生活で子供が健康で元気に生活している事、生きてくれている事が一番の親孝行だと私は母に言われた事があります。

それからは、日常の中で家事をするとか、母の好きな食べ物を買ってくるとか些細なことですがやるようにしているんです。子供が元気に生きている事が一番で、次はお金って感じみたいですが。父が若くして亡くなった事でできている親孝行でもあります。

あの時、父の希望を叶えてあげれば良かったと悔やんでいます。

父は仕事を定年退職した時「これから痴呆防止の為にパソコンを教えてくれ」と私に言いました。パソコンのインストラクターをしていた私にとって本来なら嬉しい筈の父からのお願いでした。

しかし当時の私は毎日の仕事をこなすことに精一杯で、心も体もクタクタになっており父の事まで考えるゆとりがありませんでした。

「父にパソコン教えなきゃ」という思いがいつも心の片隅にありましたが結局叶える事が出来ず、父はまもなく痴呆になり他界しました。毎晩勤務先から帰宅した後、少しの時間でも父にパソコンのレッスンをしてあげたかったです。

父はパソコンを覚えたかったのも確かですが、きっと私とひと時の楽しい時間を過ごしたかったのだと思います。「ごめんなさい。今日は無理よ」という私の言葉を、いつもとても寂しそうに聞いていました。

その時の父の顔が今でも忘れられません。手取り足取りパソコンを教えてあげながら他愛ない話などもして、父との温かい時間を過ごしたかったです。父の願いを叶えられなかった自分をとても後悔しています。

親孝行をしたくても環境が許さなくて、なかなか思うように親孝行出来ていない方がたくさんいらっしゃると思います。しかし、親と過ごせる時間はいつまでもある訳ではありません。いつか必ず親と別れる日が来ます。

その事を忘れずに、少しだけでも自分の生活の一部を親孝行の時間に当てて欲しいです。私みたいに一生後悔を引きずって生きて欲しくないので、今親に出来る事を真剣に考えて欲しいと思います。

父に親孝行できなかった

父と母は離婚していなかったのですがほぼ別居状態でした。私が中学生の時にはこういう状態で父が家にいなかったため母と兄弟と暮らしていました。

そんな父を許すことができなくて、長い間父と顔を合わせないようにしていました。正月だけは父が家に顔を出していたのですが、私は身勝手な父の行動を許すことができなくて正月は家にいないようにしていました。

父との確執が長く続いて父がガンで入院したときもろくに見舞いに行かず今となっては後悔ばかり・・・。父はガンで長く入院し、回復することなく亡くなってしまいました。

親孝行らしいことは何一つとしてできなかったのです。 今なら身勝手だった父を許せます。私も年を取って生きることの大変さやどうしようもないことなど分かるようになりました。

昔は父の行動が全て許せなかったけれど、今もし父が生きていたら一緒に食事に行ったり、父の身体の状態を気にかけてあげたいです。父に少しでも楽しめる時間を与えたいと思うのです。

まだ親孝行できていないのなら親が生きているうちに何でもいいから親孝行してあげてください。親が亡くなってから親孝行したいと思ってもそれはできません。できればまだ親が元気なうちに親孝行してみてください。恥ずかしがらず、親と向き合う時間を作ってほしいと思います。