孫と一緒に親孝行した話 1

私の親孝行

私が家を建てた時は、子供は幼稚園児であり仕事も忙しく、親のことを考える余裕はありませんでした。家のロ-ンが始まり、日々の生活が落ち着いてきたころ今まで疎遠にしていた親のことを考え、何かお金をかけないで親孝行はできないかと考えました。

それで思いついたのが月2回程度疎遠にしていた実家に家族で帰り、簡単な食事を作って食べたりお弁当を買って行って皆で食べたりすることです。又、子供と親がラ-メンが好きなこともありラ-メン屋さんに行くこともあります。定期的に家族でラーメン屋さんに行って食べています。

今まで実家と疎遠だったこと、家庭内だけで育っていたため親以外の人との関わりを持たせた方が、子供の将来、成長にいいのではと考えました。子供にとっては、祖父母は親とは別の関係を築く特別の存在です。

祖父母の誕生日には誕生パ-ティを開いたりして、皆と過ごす時間は子供にとってもかけがえのない思い出になります。最初のころ子供は遠慮がちで、私の親もどのようにコミュニケ-ションをとろうかと悩んでいる様子でしたが、会う回数が増えて行くにつれて子供の方から親の方に歩いて行くようになりました。親も一緒に散歩に行ったりして積極的に子供と関わるようになり喜んでいます。

パパなしで孫と一緒にファミレスランチ

一緒にファミレスランチに行きました。いつも孫に服や果物を買ってくれたり、実家に行くとご飯を作ってくれるので、たまには外食しようと思いました。ファミレスを選んだ理由は、子供たちはファミレスが大好きですし、いつも行かないおじいちゃん、おばあちゃんが一緒ならさらに楽しいと思いました。

ファミレスなら値段もあまり高くないので、親にお金で気をつかわせずに済むと思いました。またファミレスなら子供が多少はしゃいでもあまり周りに迷惑をかけずに済むので大人も気が楽だと思いました。

親は普段ファミレスに行くこともなく、ドリンクバーなどもあまり利用したこともなかったので、孫にやり方を教わりながらドリンクを持ってくるのがとても嬉しそうでした。ファミレス自体はあまり食べたいものもなかったようですが、食事よりも楽しそうにお子様ランチを食べている姿や、お代わりをする姿を嬉しそうに見ていました。

この日、パパは居なかったので、娘の私と孫たちだけで気を遣わず過ごせたと思います。おじいちゃん、おばあちゃんが居ることでいつもよりも長くお店にいられたので、孫たちとゆっくり出来たと思います。今まで来たことがなかったから、どんなものか分からなかったけど、これからはお友達とドリンクバーを利用しに来てみようかな、と言っていたので、これを機に少し行動範囲が広がるかも知れないなと思いました。

山が大好きなおじいちゃんには、孫との登山が一番の孝行。

我が家のおじいちゃんは、60歳を超えてから100名山を制覇した山好きです。ことあるごとに登山に誘われていましたが、学校行事や私の都合もあり、なかなかご一緒することができていませんでした。おじいちゃんが80歳を過ぎ、もうあと何回登れるかわからないという状況になってきたため、思い切って、私と息子二人でおじいちゃんとの登山に出掛けました。 おじいちゃんは、孫たちにぜひ山の楽しさを伝えたかったようです。

息子たちと一緒に行動するのは、親孝行という観点から絶対条件でした。おじいちゃんはとても喜び、張り切って山登りを計画してくれました。息子たちでも登れるコースを考えてくれ、山頂でカップラーメンを作ってくれたりもしました。息子たちが意外に着々と登るのを見たおじいちゃんは、本当に嬉しそうでした。

ばぶばぶの赤ちゃんだったのに、いつの間にこんなに大きくなったのかと、しきりに言っていました。うちのおばあちゃんは、決しておじいちゃんと孫だけという設定のお出かけを許してくれません。ですから、おじいちゃんとしてはもっと色々連れ出したいのに、これまで望みが叶わなかったのです。

もっと言うなら、私すらいらなかったかもしれません。おばあちゃんの手前私も同行しましたが、おじいちゃんは「孫と山に登る」一番の希望が叶ったので、満足してくれました。

PCトラブルシューティングで親孝行

30代女性です。実家から遠く離れた場所の貧乏家庭に嫁ぎました。帰省も定期的にできず、連絡も疎遠になりがちです。親の誕生日や父の日・母の日といったイベントには、1000円前後の贈り物を通販で贈りつけていましたが、私自身の誕生日にメールすら来ないことを考えると、裕福な親にとってはあまり印象に残らない贈り物であるようです。

そんな私ですが、お金をかけずに手ごたえのある親孝行をしたことがあります。それは母のPCアップデート作業の手伝いでした。 私・夫と違い、私の親は裕福です。お金でプレゼントを買ってもさほど反応してもらえないので、別のやり方で親孝行ができる機会があれば逃してはならない、と常日頃から思っていました。

たまたま私が帰省していた際、母のPCが不具合になりました。両親はPCを利用しますが、設定などはすべて業者まかせで全く詳しくありません。ちょっと調子がおかしくなるとお手上げで、すぐにコールセンターに電話して業者に来てもらうような感じなのです。

その際は「私が見ます」と引き受け、重いアップデート作業を何とか終了させました。ついでに少し設定をいじって作業がしやすいように調整しました。これを傍らで見守っていた母は感心し、再起動後になめらかに作動しているPCを見て「すごいすごい」と手放しに喜んだのです。

その後、母は一緒に家電販売店へ行ってくれと私に言い、そこで次に買う予定のPCを検討しました。私は一応PCを使って仕事をしていますが、全く詳しいわけではありません。ごく基本的な対処をしているだけですが、それでもPCに対し抵抗のある母には頼もしく映ったようなのです。

それ以来、PCに関する問題があると母は私に相談してくるようになりました。たいていはごく単純なトラブルで、電話で指導して回避できるようなものでしたが、母は非常に喜んでいます。「もう、ずいぶん長い事業者に来てもらっていないわ!」と。こんな意外なところで、(しかもお金をかけずに)親孝行ができたので、私も内心ほっと安堵しています。

親父とお袋と一緒に食べた稲荷寿司と孫

親と一緒に久しぶりに軽い旅行に行きました。そこで、食べたのが親父のお手製の稲荷寿司です。私は、小さい頃から食べていましたので味に飽きていました。ですが、私の子供達はモリモリ食べていたのです。親父は、その光景をみて写真を笑いながら撮っていました。

その時に感じたのが、親孝行という言葉です。いつも祝ってあげることしか脳がなかった私です。ですが、記憶に残ることも親孝行になるのだと改めて解りました。気が付かせてくれた、親父と子供達には感謝しています。私の親はもの凄く喜ぶばかりでした。まるで、子供の様に喜んでいたのです。

なので、私の子供達と来た甲斐があると感じました。また、話す内容もいつもとは違って自分の昔話やお袋との馴れ初めを話していたので楽しい時間でした。お袋も、そんな親父の姿を久しぶりに見たと言っていました。

自分が親になれた時こそ本当の親孝行が出来ると思う。

一年に一回、家族全員が集まる家族旅行の毎年恒例行事が親孝行の日になっています。その時間家族全員で親孝行する時間。温泉に入って宴会をして孫達と遊んで観光と普通の家族旅行ですが本当に大切な時間です。また今年一年頑張れるわと両親もまた来年のその旅行の日までを楽しみに生活し頑張っています。

お爺さんの畑仕事も時間がある限り孫と私3人で野菜作りしています。趣味の領域を超えているので親孝行と言うか手伝わないと無理なのです。親孝行と孫孝行の半分かもしれません。

一番上の孫は社会人で下は3歳と、歳も離れた可愛い年頃の孫3人がいますので両親も遊びによく出かける様になりました。大きな孫だけでしたらそんなに親と孫ら遊ぶ機会も少なかったかもしれません。両親も歳が歳なんで体調が良い時には実家に孫達の顔見せにお泊り遊びに行きます。

元気なパワーを孫達にもらったと毎回言ってもらえるので適度に親孝行と孫孝行の時間をお互いにストレスなく作っています。子はいつまでも子なのと言う様に親の立場になればわかると親に若い頃私は散々言われて来ました。

それが今私も兄弟も親となり子をもつ親の立場に立って少しずつ親が言っていた意味が理解してきました。その親になった姿を見て両親も若い頃はこうなのと色々相談にも乗ってくれています。

親も自分の子らとの時間、孫との時間を日々大切にして身体や怪我など以前より気をつけるようになりました。昔は病院嫌いでなかなか行かなかった親ですが、心配する子や孫達に言われれば直ぐに行動する様に変化しています。親も前向きな姿勢になり明るくなっていると思います。

ゴルフのラウンドへ行き親孝行

両親を連れて海外にゴルフ旅行へ行き、一緒にラウンドし、親孝行してきました。両親はゴルフが大好きなため、昔から婿とゴルフにも行きたいと言っていたため、結婚した後は、主人と両親と一緒にゴルフへ行っていました。

子供(孫)が生まれて、小さな頃から遊び半分でゴルフを習わせているうちに、いつの日か両親と一緒にラウンドできればなと思い、両親には内緒で子供にプライベートレッスンをつけてゴルフを習わせていました。

子供にも祖父母にサプライズしてもらいたいから言わないでという話をし、上手になる日を待っていました。ゴルフ旅行とは言わずに、海外のゴルフ場だけを予約していたため、現地について、両親だけゴルフへ予約したことを話、当日朝、孫である息子もその場に登場し、サプライズにしました。

両親の反応は、まさか一緒にラウンドできるまで上手になっているとは思っていなかったようで、実際にコースに出るまでは、他の方に迷惑になってしまうからキャンセルした方が良いのではないかと賛同していない部分もありました。

息子(孫)が、納得いかなかったら途中で辞めるからという事で説得した結果、あまりにも息子(孫)が上手くなっていることにびっくりし、孫と一緒にラウンドできたことは、一生の思い出と話してくれました。一緒にゴルフができ、また、旅行も一緒にできたことで、ダブル親孝行ができたと思っています。今では、両親の方から息子(孫)をラウンドへ誘ってくるようになりました。

一緒に海水浴でおおはしゃぎ!

いつも夏休みに出掛ける海水浴に一緒に行ってもらいました。いままでは「行ってくるね」という話だけでおこずかいをもらって出掛け、帰ってきたら写真やビデオを見せて終りだったのです。でも、それを見て「楽しそうだねえ」と連発している親の姿を見て「今度は一緒に行く?」と誘ってみました。

この時点ではあまり本気ではなかったのですが、直ぐに「じゃあ、行ってみようか」と乗り気になっている姿を見て「本当は一緒に行きたかったんだなあ」と気が付いたのです。それから1年の間は、その話でもちきり。会えば必ず「いつにしようか」「車は何台で行く?」と嬉しそうに話します。

ついに出掛ける直前には「水着を買う」というので家族総出で出掛けました。あれこれと試着をして、孫に「これが格好いいよ」とすすめられたものをそれぞれが購入。無事に海水浴の日を迎えました。何かをプレゼントして喜ばれるという親孝行もネタが尽きてきて、マンネリ化していました。

だったら、可愛がってもらっている孫とのお出かけの方がいいのかもと思いついたのです。本当に最初は単なる思い付きだったのですが、思いの外喜んでくれて、準備期間も含めて楽しんでもらえたと思います。何かをもらうよりも思い出深くなるのだと実感しました。帰ってきてから1週間は音沙汰なし。

後で話したら、疲れ切ってしまったのだそう。でも、それで懲りたのかと思ったら、「来年も行きたい」と。楽しくて本当に行って良かったと感謝されました。今でも写真を眺めては話に花が咲きます。同じお金を使うなら、本当に喜んでもらえることに使った方がいいなと感じました。

超高齢の母への親孝行の方法

米寿を迎えた母は歳相応に痴呆の傾向も現れ、私達が母が一人暮らししている実家を訪れても、あまり会話が弾みません。そんな母に対する親孝行として、4歳と6歳の私達の幼い孫(母にとっては曾孫)を連れて行き、一緒にお菓子を食べたり、会話したりしてひと時を過ごしました。 超高齢の母には物欲はなく、食べ物も自分の好きなものを食べられれば十分で、お金を掛けたからと言って、喜ぶ事は考えられません。

保育園児が老人ホームを尋ねると、非常に喜ばれ、イキイキとした反応を示す事はテレビでも紹介されています。一人暮らしで、毎日退屈で刺激のない生活を送っており、幼い子供と接する事で良い刺激を与える事が可能だと考え、幼い孫と母が接する機会を持ったのです。

母も同様に喜んでくれると考えたからです。私達の孫を連れて行くと、可愛い!こんな時が一番良い!と予想通り大変喜びました。2人は男児で、少し手荒い事をすると、危ないよ!と普段より非常に反応も早く、幼い子供に刺激を受けている様子が感じられました。

孫達に、保育園で練習していると言うお遊戯を見せてあげてと言うと、孫達は誇らしくお遊戯を見せていました。母は拍手をして、上手、上手と大喜びでした。その後は、母と幼い母の曾孫の会話を傍で聞いていると、ほっこりとした気分にさせられ、私達まで癒される想いがしました。

娘が繋いだ父との関係

疎遠になっていた父に孫の顔を見せに行きました。 父と母の離婚がきっかけで、父とは連絡を取り合わず5年ほど会っていませんでした。離婚は父に原因があったため、どうしても許すことが出来ませんでした。その間に私は結婚し、妊娠しましたがもちろん報告はしていません。

赤ちゃんが産まれても会わせる気持ちは全くありませんでした。私の出産を妹から聞いた父からお祝いが届きました。私はお金の入った封筒を開けることは出来ませんでした。主人や妹からは連絡だけでもした方が良いのではと言われましたが、かたくなに断りました。

ある日、赤ちゃんを抱っこしているとふと、この子はおじいちゃんを知らずに成長していくのかなと考えました。私には祖母や祖父が可愛がってくれたことが嬉しかった記憶があります。

『私の意地にこの子を付き合わせてはいけない』そう感じました。父に会いに行きたいと言うと、主人は緊張すると言いながらもとても喜んでくれました。5年ぶりの対面と結婚の挨拶に、その場にいる全員が緊張していました。

ぎこちない会話と沈黙を繰り返しましたが、赤ちゃんをみて父は笑って「おめでとう」と言ってくれました。久しぶりに父の笑顔を見ました。孫の顔を見せることで数年ぶりの親孝行ができたのは娘のおかげです。離婚の原因を作ったことを許せる日が訪れるかはわかりません。でも、父はこの子の優しいおじいちゃんです。今はそれを理由に、長期休みの際は必ず顔を見せるようにしています。